ヨシキの日記

読む人を少し不安にさせるブログ

自分と考えが合わない人のFacebookを眺めるのは意外といいと思います。

こんばんは。

 

僕の好きなFacebookの使い方の1つに「たまに嫌いな人のタイムラインを眺める」という使い方があります。

 

ただし、普段ほとんど接点の無い人の場合に限ります。あと、直接的な被害をうけたことのある相手も除きます(それは“恨んでる人”になるので)。

 

さすがに、“普段から顔を合わせる関係だけど嫌いな人”や“恨んでる人”のFacebookを見るのはストレスでしかありません。

しかし、普段接点がなく恨んでもない相手であれば、単純に“自分と思考があわない人”でしかなく、Facebookでたまに見かける分には疲れは感じません。むしろ、自分自身の志向性を振り返るいい機会となります。

 

なぜならFacebookの投稿には、個人差はあっても必ず“ブランディング”の意識が含まれており、人が人を嫌うのは、そのブランディングされた姿が気に入らないから、という点が大きいと思うからです。

 

あわせて、合わない人が昔と変わらず“意識高い系”の投稿などをしているのをみて

まるで成長していない・・・

と、谷沢を見るような安西先生の気分に勝手に浸ることもできます。

 

そんなわけで、お手軽な反面教師体験ツール、優位性体験ツールとして、Facebookは意外にいいんじゃないかな、と勝手に思ってる次第なのです。

 

おやすみなさい。


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ストレスや不安な気持ちが無い状態こそを「ぼんやりとした不安」だと思う日常性

こんばんは。

 

皆さんはストレスや不安な気持ち、抱えてますか?

僕はめちゃくちゃ抱えてます。というより、それがない状態がどういう状態なのかが正直全くわかりません。

 

どうやら僕は不幸なことに、ある一定係数以上の精神的不安を心に与え続けていないと、逆に落ち着かなくなってしまう体質のようです。

明確な不安要因がある場合はもちろんのこと、特に無い場合は自分でわざわざ不安要因を発見し、勝手にイライラ・オロオロしはじめるという困った特性の持ち主みたいです。

 

たとえば仕事で凄く精神的負荷のかかる案件に取り組んでいる場合、その案件の重い部分に不安を感じるのは当然として、それが片付いたら今度は瑣末な部分が徹底的に不安になり始めます。

前者の不安を数値化した場合、不安の深度が100、不安に思う回数が10で合計1,000のストレスがかかっていたとするなら、後者の場合は不安の深度が5、その分回数を100ぐらいに増やし、最低500をキープし続けるイメージです。

 

単位が自分でもよくわからないのですが、大体100が“夜一人で布団を蹴り上げて「わーーーーーーーー!」と叫び出してしまうぐらいの不安”と考えてください。

 

これだけでも十分困った状況なのですが、仕事がめちゃくちゃ上手く進んで不安がなくなってくると、今度は周囲の人や職場環境など、自分の仕事以外の何かに対して途方もない怒りやストレスを感じるようになってしまいます。

 

つまり内的な心理性負担要因が消えてしまうと、外的要因を探すべく、わざわざソナーを飛ばしはじめるのです。そしてそのソナーは極めて優秀で、ほぼ確実にストレス要因を探しあててくれます。艦隊戦では協力な武器かもしれませんが、個人としては非常に迷惑な装置です。

 

もちろん、“日頃からストレスを感じる要因ではあるものの、目の前にそれ以上の不安があるから気にしなかった”というものが多いのは確かです。

しかし、それまで気にしなかった存在であることは事実なわけですから、無視しようと思えばできる存在も沢山あるはずなのです。

 

それらを1つ1つ丁寧に掘り返し、ストレスを純粋培養させ、ある日突然ストレス無双状態になるのが「仕事が上手くいっているとき(あるいは暇なとき)の自分」ではないかという気がしてゾッとすることもよくあります。

つまり精神的に充足された自分の状態というのが、イメージすらできていないわけです。

 

もはや、ストレスを創造しているというべきでしょうか。フォーリンストレスでストレスの神様今日もありがとう、という状況に常時陥っているわけです。

 

そしてこれは仕事の場面に限ったことではありません。

誰かと何かして楽しいと感じられるときはあっても、次の場面では自ら進んで“日頃絶対考えないけど言われてみればものすごく不安になること”の闇に喰らわれてしまうのです。

オンとオフの切り替えが大事、とよく言われますが、不安やストレスにおいては種別が変わるだけで存在感は全く変化しません。むしろ悪化する場合すらあります。

ずっと右手に黒い龍を封印し続けているがゆえ、常に包帯を巻き続けなければならないような状況にある人に近いのかもしれません。

 

そして一番の問題は、これだけ不安やストレスに晒されていながら、耐性がついているわけでは全くなく、むしろ人一倍低いままという残念な事実です。

 

僕は不安やストレスと、この先どうやって折り合いをつければいいのでしょうか。

「○○でストレス解消!」というサービスはよく聞きますが、あるストレスが解消された瞬間に次の不安がオートマチックに補填される僕の場合、せめて新鮮なストレスや不安に入れ替え続けることで代謝をはかるぐらいしかできないのかもしれません。

 

幽☆遊☆白書』というバトル漫画で、自分たちを倒した主人公に向かって“樹”という敵キャラが

「オレ達はもう飽きたんだ。お前等はまた別の敵を見つけ、戦い続けるがいい。」

といって異次元に消える有名なシーンがありますが、僕も早く不安やストレスとの戦いに飽きてみたいものです。

 

そんなわけで、芥川龍之介の残した言葉とは恐らく意味が全く違うと思いますが、それでもこの状況を言い表すとすれば 「ぼんやりとした不安」なんじゃないかな、と考えながら明日もどうにかしたいと思います。

 

おやすみなさい。

 

【参考文献】


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